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2019.01.08
ジャズピアニスト ビル・エヴァンス が残した繊細で美しい音楽を解説
ビル・エヴァンスの音楽的なルーツはクラシックであり、ジャズシーンで頭角を現す以前はクラシックのピアニストとして活躍が期待されていました。しかし音楽を学ぶ過程で触れたジャズの魅力が忘れられず、その身をジャズシーンに投じ、旧来のセオリーを覆す新たなジャズピアノの在り方を示します。
今回は、ジャズピアニストのビル・エヴァンスが残した繊細で美しい音楽を解説します。
ビル・エヴァンスの生涯はジャズプレイスタイルと同じく繊細で叙情的
1960年代初頭、昨今より黒人音楽の気色が強かったジャズシーンにピアノトリオの新しいアプローチを示した白人ジャズピアニスト“ビル・エヴァンス”。51歳で生涯を終えたビルのプレイスタイルは当時のジャズシーンにおいて異端的な存在であり、そのリリカルな演奏は一部からジャズ界のショパンとたとえられています。
また彼の生涯はプレイスタイルと同様に繊細かつ叙情的で、残した音楽は数多くの後進ミュージシャンに影響を与えました。
1929年8月にアメリカのニュージャージー州で出生したビルは音楽好きな父によって幼少期から音楽の教養をうけて育ち、6歳からピアノに触れます。さらにビルはピアノに加えてヴァイオリンおよびフルートの演奏を学んでクラシックの教養を身につけますが、10代になるとジャズに興味を示しました。
ビルは1950年にアメリカの音楽大学へ入学し、楽器の演奏や音楽理論などを学び1954年に同大学を卒業。翌年に徴兵され、回帰した50年代半ばからニューヨーク州を拠点にジャズピアニストとしての活動を本格的に始動します。
高い演奏技術を買われ、1956年にリバーサイド・レーベルより初のリーダーアルバム『New Jazz Conceptions』をリリースしました。しかし本作は後の“ビルらしい”インタープレイが収められた作品ではなく、彼自身のプレイスタイルがまだ確立されていない草創期を捉えたものです。
“ジャズの帝王”マイルス・デイヴィスのバンドに加入してモードジャズの発展に貢献する
1958年、ビルは“ジャズの帝王”マイルス・デイヴィスのバンドに加入してモードジャズの発展に大きく貢献しました。彼のプレイスタイルはクラシックを礎とする繊細なリズムタッチと叙情的なボイシングが特徴であり、当時新しいメンバーを探していたマイルスの目に留まりピアニストとしてバンドに加入します。
当時マイルスはコード進行やソロの自由度が高くなるモードの特性をジャズに取り入れようとしており、ビルはマイルスのもとでモードの特性音を学びます。一方でビルはマイルスに対してクラシックを聴かせてモードジャズ確立の可能性を示すなど、お互いに友好的な関係を築いていました。
しかしマイルス以外のメンバーは白人のビルが奏でる繊細なジャズピアノを好意的に捉えていなかったようです。他の黒人ピアニストが奏でる力強いタッチ感とのギャップから、ビルに対し差別的な振る舞いを行っていたとされています。結果的にビルはマイルスのバンドを1年ほどで離れました。
ただしマイルス自身はビルのジャズピアノを認めており、翌年の1959年に再びビルを自身のバンドに招いてアルバム『Kind of Blue』をレコーディングしました。本作はジャズシーンにモードジャズの新たな幹を築いた一枚。「So What」や「Flamenco Sketches」などでモードの手法が取り入れられています。
従来のセオリーを覆す新たな演奏スタイルのピアノトリオを結成する
マイルス・デイヴィスのバンドを離れたビルは、1959年に従来のセオリーを覆す新たな演奏スタイルのピアノトリオを結成します。
従来のピアノトリオはテーマやアドリブを奏でるピアノのバックでベースとドラムがリズムを刻むという図式です。そのため暗にも主役(ピアノ)と引き立て役(ベースとドラム)が区分されており、ベースとドラムはリズムセクションを超える演奏を行わないというセオリーが存在しました。
しかしビルは自身のピアノトリオにおいてピアノに限らずベースとドラムにもアドリブを演奏させ、従来のセオリーを覆す演奏スタイルを世に示しました。
ビルが示した新しいピアノトリオの演奏スタイルと卓越したインタープレイが収録された以下4つのアルバムは「リバーサイド四部作」と呼ばれています。
- Portrait in Jazz
- Explorations
- Waltz for Debby
- Sunday At the Village Vanguard
ベースはハイフレットを使いピアノとアドリブの掛け合いを行い、ドラムはリズムを刻むに加えフィルインでビルのアドリブに対抗するなど、各パートが密に絡みあう秀逸なインタープレイを繰り広げています。リバーサイド四部作をリリースした期間はビル自身のキャリアにおける黄金期であり、キース・ジャレットを筆頭とするジャズマンらがビルの演奏スタイルを継承しました。
ジャズプレイの編成を変えつつ最後までピアノの自己表現を追求した
1970年以降はマイルス・デイヴィスやチック・コリアなど、それまでジャズシーンを牽引してきたミュージシャンらがロックの要素を取り入れはじめます。
しかしビルはかつてのプレイスタイルを大きく変えることはなく、トリオのメンバーやパートの編成を変えながらも最後までジャズピアニストとしての自己表現を追求し続けました。
頭角を現しはじめた草創期は異質なジャズピアニストとして扱われた一方、リズムセクションも共にインタープレイを試みるという、新たなピアノトリオのモデルを示すなど彼がジャズシーンに投じた一石は大きいといえるでしょう。
またクラシックを礎とする繊細かつ叙情的な演奏は、彼自身のジャズに対する純粋な探究心を映し出していたのかもしれません。
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