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2019.07.02
イタリアのボローニャに残るモーツァルトの「カンニング」の軌跡
クラシック音楽の王道といえばモーツァルトといってよいでしょう。クラシック音楽に興味のない人でも、モーツァルトの楽曲は耳になじんでいることが多く、その薄幸で短かった人生も相まって人々の心に残るのかもしれません。
近年、クラシック音楽に鎮痛作用があるとかワインにうま味を与える作用があるという研究が次々に発表されていますが、こうした場合に使用されるのももっぱらモーツァルトの作品なのです。歴史に名を残した数多くの天才たちの中でも、クラシック界におけるモーツァルトの名は絶対的な存在なのでしょう。そのモーツァルトが、ティーンエージャーのころに残した微笑ましいエピソードをご紹介いたしましょう。
モーツァルトとイタリア
35歳で早世したモーツァルトは、幼年期の可愛らしいエピソードが有名です。
ハプスブルク家の宮廷で転んだモーツァルトは、とっさに助け起こしてくれた皇女マリー・アントワネットに「君をお嫁さんにしてあげる」と言ったという、あのお話です。これは、モーツァルトが6歳の時の逸話ですが、長じて14歳になったモーツァルトはイタリアを旅します。この時にも、モーツァルトは愉しいエピソードを残しました。
10代半ばであったにもかかわらず、当時のモーツァルトはイタリア各地で歓迎を受け、高名な音楽家たちから教育や支援を受けています。ローマでは、書き写せば破門に処されるといわれる秘曲を、システィーナ礼拝堂で聴き空で覚えたという神童ぶりを発揮。さらに、法王から勲章まで授けられました。また、大学都市として名高い文芸の町ボローニャでは、音楽理論家であり教育者としても欧州にその名を知られていたマルティーニ神父の薫陶を受けることになるのです。
あまりにイタリア的な入学試験スキャンダル
当時のヨーロッパでは、ローマのサンタ・チェチリア音楽院とボローニャの音楽アカデミーの権威が非常に高く、欧州の教会や宮廷で音楽家として活動するためにはここで箔をつけるのが常でした。
モーツァルトの才能を見抜いていた父親も、音楽アカデミーに入学させるためにモーツァルトをボローニャに連れてきたのです。
そこで、モーツァルトは入学試験を受けることになるのですが、現在の学者たちの言葉によれば、ここでいかにもイタリア的なスキャンダルが起こるのです。
音楽家であり試験官でもあったマルティーニ神父は、モーツァルトにドイツ風の音楽教育がほどこされていたことを熟知しており、ゆえに試験に落ちることを懸念していました。そして、モーツァルトが実際に提出した課題を隠匿し、マルティーニ自身が用意した課題がモーツァルトの作品として提出されたのです。
というわけで、ボローニャにある国際音楽博物館には14歳のモーツァルトのオリジナルの楽譜が残されています。そして、音楽アカデミーには口頭試験の「良」という成績と、マルティーニが用意したモーツァルトの「カンニング」楽譜が所蔵されています。ちなみに、イタリアにおける「良」という成績は、可もなく不可もなしというレベル。合格がギリギリであったことを示しています。
謹厳な神父でさえも、愛する弟子のためにはこんな策を弄するあたり、いかにもイタリア的というわけです。これについては、息子の売り出しに手腕を発揮していたモーツァルトの父レオポルドが、ある程度の金額を払った可能性も否定できないのだとか。
いずれにしても、若きモーツァルトは栄えあるボローニャの音楽アカデミーの一員として認められたのです。また、このカンニングの主犯であったマルティーニ神父の名は、現在もボローニャの音楽学校の名に冠されています。この音楽学校からは後に、ロッシーニやレスピーギを輩出しています。
ピアノの名手であったモーツァルト
10代の少年であったモーツァルトの当時も思いは知る由もありませんが、周囲の大人が躍起になってモーツァルトを合格させようとしたという事実からも、彼の早熟な天才ぶりはわかろうというものです。
音楽家の父とあまたの兄弟に囲まれて育ったモーツァルトは、4歳からチェンバロをひき始めたといわれています。15世紀に劇的に普及したチェンバロは、主にイタリアとフランドル地方で生産されていた楽器でした。19世紀にピアノが主流になるにつれてチェンバロは衰退していきますが、モーツァルトにとっては幼児期からなじみのある楽器であったのでしょう。
そして、幼少期のキャリアはピアノの演奏家として出発しています。生涯に残した曲は700を優に超えるといわれていますが、ピアノには特に愛着があったことを示すようにピアノ協奏曲だけで27を数えます。弦楽器とピアノによる室内曲が11、ピアノとバイオリンのためのソナタが36、ピアノソナタが27、その他小品が60近く残されているのです。
長調が多いといわれるモーツァルトの楽曲は、天才にふさわしく天真爛漫で品格があふれるものばかり。その背景には、彼の天賦の才を支えたさまざまな人々の思いがあったことを示すエピソードですね。
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